「Tokyo Middle 30」というドラマを見ている。メインのキャラクターの3人は全員35歳、自分と同い年だ。主演俳優の3人の実年齢も35歳に近い(仲里依紗が1989年、能年玲奈が1993年生なので35歳なのは深川麻衣のみ。)確かにこの3人は自分が学生の頃からよくメディアに出ていた気がするが、芸能人は年をとっても見た目があまり変わらないので感心する。
年齢を基準にして振る舞いや生き方を定義するというのは、自分の価値観にはあまりないのでこういうドラマは新鮮で、普通35歳になるとこういう事を考えたりするのかと色々勉強になる。だがこういう考え方をできること自体、自分が男性であることが大きな要因であるとは思う。日本においては女性が年齢によるプレッシャーに晒されていることは否定できない。だがこのドラマを見て男女論に話を持っていこうとするとあまりにも制作者の意図通りに動いている感じがする。
ドラマを見ている人ならわかると思うが、とにかくこのドラマにおいては人生のあらゆるフェーズで男性が「敵」として現れる。結構グロいなと思うのが主人公の子どもまで男の子で、しかも発達障害を抱えていて「自分のキャリアを邪魔する存在」として登場させられているところだ。こうやって男性を「敵」として出現させることで、これを見ている男性はむしろ登場する女性を敵対視するようになり、ネット上での男女論争に油を注ぐことで話題性を獲得できる、というのが大方の制作者の意図であろう。
自分以外に何も守るべきものがない孤独な人間に、本物の栄光はつかめない—————『MAJOR(メジャー)』第35巻
ぼくが一番好きな野球漫画「MAJOR(メジャー)」にこういうセリフがある。そりゃ茂野吾郎みたいなスーパースターは確かにそれはそうかもしれないけど、一般的には守るものがない孤独な人間のほうが生きやすいとは思う。これは年齢による生き方の定義の問題とも関係していて、他人の目や評価が気になると、「こういう生き方をしなければならない」という同調圧力でがんじがらめになるからだ。(ここではあえて男女の問題というのは棚上げにする。)
メインキャラクターの3人のうちの1人である山地遥は、社会性があるがゆえにこういう点で脆く、他人との比較において自分の人生に引け目を感じてしまう。他人の目など気にしなければ35で貧乏でも別に構わないし、音楽を続けていたって構わないじゃないか。だが山地遥は、周囲や、友人の目を気にするあまり金持ちとの上昇婚に向かって邁進していく。この結末がどうなるかはまだ完結していないのでわからないが、おそらくうまくいかないのだろう。これがうまくいってハッピーエンドを迎えるとしたら物語としてはフリオチがなさすぎて相当おもしろくない。