コンテンツが犯罪を助長するとか、差別を助長するといった論調には昔からどうも乗れない。表現の自由は1つを例外にするとなし崩し的にあらゆるものを規制する口実になるかもしれないと考えると、露悪的なコンテンツも必要悪だと思う。そうやってコンテンツに対して厳しい倫理観を求めると、あらゆるコンテンツがリスクヘッジを行うようになり、その結果テレビは飯とクイズだけになって、アニメは異世界転生だらけになった。

異世界転生というのは考えればおかしなもので、そもそもアニメのキャラクター自体が、僕たちからすれば異世界の住人である。それにもかかわらず、さらにもう一段その中に架空の世界を作り上げて転生させているのだ。つまり「架空の世界の住人をその世界の中のさらに架空の世界に転生させる」という二層構造になっている。単純なフィクションではもはや虚構としての力が弱くなってきていて、異世界の住人をさらに異世界に飛ばすことによって、そこで起こるあらゆる現象については倫理的な追及から逃れることができると考えられているのかもしれない。


不良とか腕っぷしの強そうな人は、いじめみたいな陰湿なことはしない。彼らがやっているのは単なる暴力である。(それはそれで駄目ではあるが。)いじめっ子の性質というのは、要は「やり返してこない人間に対しては強気」というもので、こういうタイプは社会に出ても相当な頻度で遭遇する。しかし裏を返すとこういうタイプは一度言い返したりすると露骨に弱気になるので行動が読みやすいかもしれない。以前「言語はコントールから抜け出すために必要だ」ということをnoteに書いたことがあるが、これも同じことだ。