クリエイターはこれからどう生きるのか

これからの時代、モノを作る人間は生成AIの跋扈によって著しいモチベーションの低下と無気力感に苛まれることになるかもしれない。AIと人間の作るものを比較すると、現時点では圧倒的に人間の作るのものの方がクオリティが高いとは思うが、この優位性が意味を持つのは「クオリティの高いものを作ること」が第一目標であるというコンセンサスが取れている場合に限られる。むしろ僕たちが直面する絶望の正体は、市場の論理において制作物のクオリティなどそもそもたいして求められておらず、予算を削減しインスタントにそれっぽいものさえ作ることができればそれでいいと考える人間が実際には世の中の大半を占めていたという事実を知ることなのではないか。

この発想が広がると、再生産されたものを再生産し続けることによって文化そのものがモデル崩壊を起こす危険性もある。しかしこの現象は、SNSにおいてクリエイターがバズったものをひたすら再生産し続けていいね獲得競争に興じるようになってからジワジワと進んでいたのであって、これもまたAIによって可視化しただけとも言える。SNSにおける数字獲得競争はマーケットの論理そのものだからだ。

もちろん「自分が楽しければそれで良い」と思える人は問題ない。そういう人はそもそも作る動機が内在化しているからどんなことが起ころうが作ることをやめないだろう。だが僕たちは作る動機を外在化、つまりマーケットの中に位置づけることにあまりにも慣れすぎてしまっている。

AIの問題というのは、AIという固有名詞の問題ではなく、実際は「人間の営みが高速再生産された場合どうなるか」ということなのではないか。つまり1000倍の速度でコモディティ化が進んだ場合どうなるのかということだ。そのレベルの速度で既存の職がコモディティ化すれば、当然失業する人間も増えるわけで、この社会はその速度感についていくことができないかもしれない。だが僕らの社会は、結局SNSやGAFAMのような巨大なテック企業の権力をどうコントロールするかという問題すら棚上げしたままここまで来てしまった。おそらくAIについても、たいしたコントロールの方法が見つからないまま右往左往することになるだろう。

僕たちはみんな似たり寄ったりなものを再生産し続けていても、それがさほど重大な影響を与えるほどではない速度でしかコモディティ化していなかったから、これまでその問題を直視してこなかった。だが1000倍の速度でコモディティ化されるとなると、「もはやこれは自分が作る意味など無い。」と感じても無理もない。1000倍の速度というのはあくまで比喩だが、高速のコモディティ化は職だけでなく、市場の論理の中で自分を位置付けて来た人間の実存すら破壊しに来る。これが冒頭で言った「無気力」問題の正体だ。

「お金にも数字にもならなくても好きだから作る」みたいな素朴な発想は今の世の中ではむしろバカにされてきたし、敬遠されてきたかもしれないけど、今後はそうやって動機を内在化しないと、作るという行為そのものにつきまとう無力感を払拭できないかもしれない。要は盆栽みたいなものだ。