幸福と不幸、あるいは死について
よく「孤独死は嫌だ」と言う人がいるが、ぼくは自分の人生の最後が孤独死だとしても妥当な結末だと思う。結婚とか家族とか、そういうものが当たり前に良い物であると思っているからこそ、それが無いことが不幸であると思える。ぼくはそれが無いことが不幸だと思えるような生き方をしてこなかった。幸福が定義されなければ不幸も無いのである。
例えばぼくが死んで誰かが泣いたとする、ぼくはその人間に不信感を抱くだろう。それが意味するのは、ぼくの人生はその程度の人生だったということだ。誰も信頼できず、信用もせず、常に猜疑心に駆られるだけの人生だ。
だがそれで何か問題があるのだろうか。それは単に「ぼくの人生はそういう人生だった」というだけのことで、そこに幸福だとか不幸だとか判定する理由がない、というより判定する材料がぼくには無い。
人は「そう簡単に死ぬことができないから生きている」のではないか思うことがある。そこに幸福だの不幸だの、そういう概念を持ち込むから話がこじれてくる。要はぼくたちはただ生きているのである。