忙しそうな人って自分で勝手に忙しくしてる分にはいいんだけど、他人に対する接し方が無意識に高圧的になってたりすることがあって、それでも「自分は忙しいんだから許される」って甘えというか、自己正当化のせいで自分の振る舞いに気づくことがない。「自分が忙しくて余裕がないので、他人に強めに当たって不快な思いをさせたってそれは仕方のないことだ」と考えているのかもしれないが、周囲の人間からしたら迷惑なだけである。まるで赤ちゃんが泣いて母親に物事を訴えるように、自分が忙しくてつらいと周囲にわかってほしいと訴えかけているような幼児性を感じる。デフォルトが忙しい業界だとこういう振る舞いに耐えることそのものがイニシエーションとして機能してしまうので自浄作用は働かない。体育会系の業界において社員の自殺など悲惨な事件が起こってしまってから問題が明らかになるのは、業界のほとんどの人間がイニシエーションを通過した人間なので、そもそも普通なら明らかにおかしいコミュケーションがデフォルトで取られていたとしても、誰もその異常性に気づかないからだろう。
「みいちゃんと山田さん」話題になっていたので読んでみた。夜職、DV、毒親、ドラッグ、挙げればキリがないほどに広範囲な社会の闇のようなものを扱っているが、あまりにも戯画的に描かれすぎているし、一つ一つがたいして掘り下げられているわけでもないので、この作品を見ることで良くも悪くも何か社会に大きな影響を及ぼすとは到底思えなかった。とにかく作中でみいちゃんはとんでもなくひどい目に遭うんだが、それに対する救いというか、ここまでひどい目に遭わせてるからには何か最後に1つの回答があるのかと思いきや(まだ最終話が公開されていないのでわからないけど)別にそういうのがあるわけでもない。とにかくみいちゃんがひたすらボコボコにされるだけである。全然関係ないかもしれないけど「撲殺天使ドクロちゃん」ってアニメ思い出した。主人公が何の脈絡もなく理不尽にボコボコされる感じ。こういう作品はいわゆる「エログロナンセンス」に分類されるのかな。炎上に関しては作品の内容とはあまり関係のない、作者の個人的な問題だったり、宣伝手法の問題だったりするようなのであまり関心が無い。
忙しそうな人問題は「みいちゃんと山田さん」の5巻に出てくる「心の受容体」の話に関連していて、要はこういうコミュニケーションを取る人は受容体が欠落していると言えなくもない。だが昨今の様々な言説を見ていると、この受容体があまりに敏感すぎて、「いや、世界はあなたみたいに繊細な人を基準にして動いてないよ」と思う人がいることも理解できる。そもそもこの2つのタイプは構造的に相容れない。敏感な人は鈍感な人をバカにしていて(実際作中で桃花は明らかな見下しの視線を向けている)、鈍感な人間はバカにされても気にしないからだ。