8時間の仕事を短く終わらせたら別の仕事を押し付けられるみたいな話は昔からある話だけど、それが皆わかってるから4時間で終わる仕事を適度にサボりながらダラダラとやって8時間まで引き伸ばす。そのせいで生産性は一向に上がらない。結局この問題は労働時間の方を先行して変えないと変わらないのではないかと思うが、この手の議論はこれまでにも何度もされているはずだし、それでも変わらないのには思ったより複雑な理由があるのだろうか。8時間労働というのは19世紀の産業革命時代のスローガン、3分割の原則(1日24時間を「労働・睡眠・自由時間」に分割する)が由来らしいが、これだけ産業構造が変化していてそこだけ変化しない理由はよくわからない。こういう問題は選択的夫婦別姓の議論と一緒で、ずっと言われ続けてずっと何も変わらないみたいな問題になっているのかもしれない。
効率化したら効率化して余った時間を全て有意義で、創造的なことに使うのかと思いきや、そうならないのが人間の厄介な所でもある。余った時間にはさらなる無駄を作り出し時間を「埋める」のである。最悪の場合は無駄を作り出すことそのものが仕事になって最悪の循環を生む。そして可処分時間の流れる先は、ゲーム実況やソーシャルゲーム、ショート動画のようなものでしかなく、効率化を進めたところで多くの人には空いた時間でやりたいことなどないというのが現実じゃないだろうか。倍速映画のようなものがその典型だが、効率化というのはそもそもが自己目的化している側面があって、多くの人はそんなに効率を求めてもいない。倍速で映画を見るくらいなら映画など見なくていいし、他のことをしていた方がいい。だが他にやりたいことがあるわけではないので、単に「効率化」だけをするという倒錯が起きる。