バタフライエフェクト
「未来のためにできること」をテーマに書き出すにしてはやや天邪鬼すぎるかもしれないが、そもそも我々ひとりひとりがなにか行動を起こしたところで未来を変え得るのか?という問いから始めなければいけない。この問いから逃げ続けるのは単に現実逃避である。どこかでビットコインのために途方もない電力が消費される一方でひとりひとりが自宅でチマチマと節電していたところでなんの意味があるのか?という問いに答えられないかぎりSDGsは絵に描いた餅でしかない。
悲観的に考えるなら、巨大産業が消費する電力、リソースは象の一歩のようなもので、我々がせっせと掃いて綺麗にした床を一瞬で踏み潰す。そんな状況下で個人が何をやっても無駄な努力である。楽観的に考えるなら、バタフライエフェクトを信じるのだという見方もある。蝶が羽ばたけば砂漠で竜巻が起こるように、ひとりひとりの小さな努力がやがて大きなうねりとなって社会を変え得るのだという見方だ。
あっけない結論に聞こえるかもしれないが、これはもうエビデンスとか根拠の問題ではなく、単なる信仰の問題だ。要は未来など誰にも予測できないのだから、バタフライエフェクトを信じて個々人が頑張るか、そんなものは虚無であると諦めてしまうか、このどちらにも正当性はある。というよりどちらが正しいということを現時点で結論付けることは不可能であり、結果は未来にならないとわからない。
大事なことは「行動をおこすこと」が絶対的に正しいのだと安易な発想に執着しないことだ。現時点で考えればバタフライエフェクトに期待することも全て諦めてしまうことも同程度の正当性しかないわけで、どちらの信仰が正しいのだという言い争いをしても仕方がない。それでも「何もしないよりはマシ」だと言う人もいるのだろうが、なにか行動を起こすことで別の悪影響を引き起こす可能性だって否定はできないし、それはバタフライエフェクトの弊害のひとつでもある。
ぼくがなにか行動を起こすとしても変わるのはぼく個人の未来だけであって当たり前だが地球や、大きな未来には何も影響しないだろう。地球や自然などという大きなものを人間の努力によって改変できると考えていないし、ぼくたちは未来に立ったその時点で単に成り行きに任せた結果だけを見ることしかできない。だがその個々人の営みがいい感じに作用して地球は素晴らしい場所になる、そう信じるのも悪いことではない。