人は何かを完全に記憶から消すことはできない。では「忘れる」とはどういうことなのか。それは「思い出しても心が動かなくなった時」なのかなと思う。悲しいできごとも、嬉しいできごとも、思い出しても悲しいとか嬉しいって思わなくなったら、それはもう忘れてるってことなのではないか。


「AIを使って仕事すると神が降りてこなくなる」というのはその通りで、AIはほどほどのものは出してくるが、100%に到達する道を完全に閉ざしてしまう。単純作業は無駄だから自動化したほうが効率が良いとはいうが、実はその単純作業の工程の中にも無数の思考回数があって、それを完全に放棄すると結局最終的なアウトプットの質も下げてしまうのではないか。もはやAIをどう使うかとかウダウダ考えるくらいなら、1から全部自分でやる方がいいんじゃないかとすら思えてくる。


SNSのアプリをスマホに入れているとちょっと時間が空くとSNSをチェックすることが無意識に習慣化してしまうのがとにかく不快。これはChatGPTとかAIツールも同じで、なにか思ったことがあるとすぐAIに相談、みたいなことが無意識に習慣化するのは恐ろしいことだ。そうやってじわじわと自分の思考、人生がテクノロジーに汚染されていくのが嫌なので空いた時間には本を開くことにしよう。


ショート動画なんかは典型的だけど、すべてが暇つぶしのためのコンテンツになってしまった時代でどれだけ暇つぶしの供給による数字の獲得競争に巻き込まれず一貫性を保てるかという点は大事な気がする。例えば一人の人間を「フォロー」するということはその人の何かしらの一貫性を見たいということでもあると思うのだが、次から次へスワイプされるコンテンツを消費している人にはその一貫性を見るという発想がない。おそらくショート動画って見られる数字の割にほぼプロフィールに飛ばない人が多いんじゃないかな。自分が作ったものが一瞬でスワイプされドーパミン中毒者の暇つぶしとして消費されていくのはなにか虚しさがある。ぼくがやった方が良いんだろうなとは思いつつインスタのショート動画をやりたくない理由は多分そこにあるんだろう。