極端なランダム状態を最大値として考えたときに、そこにいろんな制約をかけていくことでいろんなジャンルが成立する千葉雅也『センスの哲学』
この制約を自分で作ろうとするのがアーティストなのかなと思う。そしてオリジナリティというものの正体はこの制約の独自性にある気がする。SNSで数字稼ぎがやりたいならオリジナリティについてなど考えるべきではなく、常にコモディティ化の著しい界隈に突っ込んでいく方が正しいムーブである。当然「参加人数が多い」方が数字が稼げる可能性は高いということになる。普通の経済で考えるとそれは単にレッドオーシャンということであって、見かけ上の数字ほど旨味は無いはずなのだが、フォロワーや再生回数のような純粋な数字の多寡の比較はそのあたりを錯覚させてしまう。レッドオーシャンになってる界隈で1万人フォロワーがいても、数字の大きさのわりにたいして実効性がないのではないか。下手したら10万人いてもあまり変わらない可能性がある。レッドオーシャンは勝者総取りの傾向があるのでうまく行けばとてつもない数字を得ることになるが、残りの99%に入る可能性の方が圧倒的に高い。これは直感に反するかもしれないが、基本的にSNSでは誰かと似たような物を作れば作るほど数字は取りやすくなる。それはSNSが共感によって駆動されるプラットフォームであることもそうだし、多くの人が似たようなものを作っているということはそもそもその市場には需要も供給も大量にあるということだからだ。だがこうなってしまうと、大量の類似タレントの中から運よく当たりくじを引くのを祈るような行為に近くなる。今からJPOPのミュージシャンを目指して売れることを想像するとそれがどれだけ確率が低いかわかる。ぼくが昔関わっていたバンドも、アニメのタイアップソングを提供するところまで行ったけど、結局「売れる」ことはなく解散した。要はこの競争に組み込まれると大当たりにしか意味がないくじ引きをやらされることになる。
NFTのときもそうだったんだけど、生成AIにしても試しもせずに批判だけしてるってのはどうも性に合わない。観てない映画批判するみたいな気持ち悪さがある。つまらない映画は全部観てから批判する。
昔に比べて最近は本ばかり読んでいて、不思議なもので本を読んでいると自分でも書きたくなってくるものだな。基本的にネットで色々言うのは恥ずかしいし、変な人に絡まれる可能性があるので嫌なんだけど、リスクを欲望が上回ると人は何かを始めることができるのかもしれない。