イノベーションは本来、人間を幸せにするためにあるはずだ。ところが最近、イノベーションは単に進化すること自体を目的としてしまっているような印象を受けることがある。

例えばAIによって仕事が置き換わり、失業者が増えることが人間社会にとって幸福につながるとは、僕にはあまり思えない。しかし、それをまるで良いことであるかのように語る人もいる。

もちろん、単なる技術者であれば社会のことなど深く考えず、テクノロジーの進化そのものを無邪気に追い求めていればいいのかもしれない。だが最近では、技術と政治が結びつく場面も増えている。そうなってくると、単に技術の進化だけを追い求めていればいいという話ではなくなるはずだ。

技術が進化した先にある社会が、果たしてそこに生きる人間にとって幸福な空間なのかどうか。そこを想像できない政治家は、むしろ危険ですらあると思う。

最近マネジメントと話していて知ったのだが、僕がいる業界はどうやら最近全体的に仕事が少ないらしい。営業をかけても、なかなかどこにもつながらないという。

その流れで、原因はAIなのではないかという話が出た。正直、それは少し短絡的な発想ではないかと思った。

これは麻雀と似ている。下振れているとき、人は原因を一つに求めようとする。しかし実際には、ただ運が悪いだけだったり、複雑な要因が絡み合っていたりするものだ。

どうやら人間は「ランダム」というものをうまく認識できないらしい。麻雀で負けているときも、どこかに原因を見つけようとしてしまうが、実際には単に運が悪いだけということも多い。

こういうときに重要なのは、下振れているときに打ち方を変えないことだ。常に期待値の高い打ち方さえしていれば、上振れたときに回収できるはずだからだ。

仕事の下振れ期も、案外そんなものではないだろうか。

よくわからない現象に対して、短絡的にAIのようなマジックワードにすがろうとしているのを見ると、少し余裕がなくなっているのかなとも思った。

AIが仕事を奪うという議論はよく目にする。しかしこれも、どこか観念的な話のように思える。実体を持たない存在が、どうやって人間から仕事を奪うのだろうか。

実際に仕事を減らすかどうかを決めるのはAIではない。それを使う人間の管理者であり、組織であり、社会の意思決定だ。

そして僕は、人間は最終的にそこまで極端な判断をしないのではないかと思っている。すべてをテクノロジーによって効率化してしまえば、社会に人間は必要ないという結論に近づいてしまうからだ。そうした結論は上述したようにそもそも人間の幸福から遠ざかっている。

もし社会がそこに向かうのだとすれば、それは手段と目的が完全に倒錯してしまっているということだろう。