自主制作にも仕事にもCINEMA4Dを10年以上使っているんだけど、最近は無料ということもあってBlenderを使う人が増えたなという印象がある。実際大学で教えていても、Blenderならちょっと触ったことがあるみたいな学生がとにかく多い。この前「3DCGってBlenderが有名だと思うんですけどなんでCINEMA4Dなんですか?」って聞かれたくらいだ。これはCINEMA4Dに限らず、学生版を無料じゃなくした影響だろう。個人的にこの流れは将来のユーザーを逆に減らすことになっていると思う。正規版に比べれば大した金額ではないとはいえ、お金のない学生にとっては無料のBlenderを選択するのが当たり前だからだ。そんな中ぼくもたまにBlenderを触って勉強していたのだけど、その中で感じたことを記録しておきたいと思う。
Blender自体はずっと昔からあるツールではあるけど、自分が学生の頃はデフォルト選択が右クリックというかなり癖の強いツールとして敬遠されていたような印象があるし、実際ぼくも何度か触ってみていくら無料でも使いにくいと思って挫折した記憶がある。最近のバージョンはその頃に比べてかなり使いやすくなっているし、様々なアドオンで遊べるのも面白いなとは思った。
結論から言うとぼくはBlenderがあまり好きではない。何よりも受け付けないのがユーザーインターフェースで、UIが酷いせいで起動するのも操作するのも億劫になってモチベーションが下がるという最も根本的なところで問題が生じる。この感覚って何かに似てるなと思ったら、「モンスターハンターワイルズ」をプレイしていた時にすごく似ていて、いくらグラフィックが凄かろうがストーリーが面白かろうが、UIが使いにくい時点でゲームを操作しようという気が無くなってしまう。もちろんBlenderとCINEMA4Dの比較という観点で言うと、10年以上使っているという慣れによってバイアスがかかっていることは否定できないけど、それくらい自分にとってはUIの心地良さが重要だ。
Blenderのもう一つの問題点はとにかくアドオンと呼ばれる外部ツールに依存しすぎなことだ。これはソフトウェア自体が無料でオープンソースであるという性質から避けられないとは思うが、もし制作者がアップデートを中止してしまったらその時点で今まで構築してきたワークフローが一切使えなくなる可能性があるし、ソフトウェア本体のアップデートによって使えなくなる可能性も高い。他のソフトでプラグインをいじってきた人であれば、アップデートによって過去に購入したプラグインが使えなくなり、泣く泣く古いバージョンを使い続けるみたいな経験が何度もあるはずだ。「タダほど高いものは無い」という格言があるように、この仕組みは脆く、いずれどこかで破綻する可能性があると思っている。Blenderは総じて無料の代償に手間を買っているツールだという印象が拭えない。
ちなみに「ジオメトリノード」と呼ばれる機能はC4Dユーザーにとっては最悪で、CINEMA4Dで数クリックでできることをやるためだけにとてつもなく複雑なノードを組まなければならないのであまりにもバカバカしく感じる。
プラグイン(アドオン)を色々試すのは楽しいけど、基本的にプラグインをベースにワークフローを構築すると痛い目に遭うことがわかっているから、ぼくは常にソフトウェアが変わったとしても安定して同じことができるようにできる限り表現を逆算、制限してる。でなければ自分の表現はソフトウェア開発者のご機嫌次第ということになってしまうからだ。この理屈で言うと別にBlenderを使っても同じ表現ができるんだけど、だからこそツールの使い心地という根本的な問題にこだわる。
「新しいツールを覚えるイタチごっこ」は本質を見失う。3DCGは常に新しいツールが出てくるけど、それを覚えて使って遊んでるだけで一生終わっては本末転倒だろう。あくまでアウトプットのためのインプットだということを忘れてはいけない。
ぼくの考えでは表現の強度というのは制限の中で生まれる。プロセスに制限を設けるというのは、つまりその制限の選択の中に自分の執着があるということだ。つまり沢山のことを知っていたり、できる状態というのは対応できる幅は広いが、一か所の強度が下がる。例えば団子のような素材を薄く広く伸ばしていくと、一か所の強度が下がるのですぐに崩れてしまうような感じだ。
究極の制限というのは無知であることだ。無知のまま紙と鉛筆だけで表現を続けられるとしたら、それはかなりの強度を持つ。ただ難しいのがそういう究極の制限というのはコモディティ化の壁に必ずぶつかる。紙と鉛筆で絵を描く人間なんて世の中に無数にいるわけで、コモディティ化によって確実に強度が下がる。
それを避けるためには、一度知識を広げた後、その知識を「あえて使わない」という操作をしたりして、広げたものをもう一度狭めるプロセスが必要になる。団子のアナロジーに戻れば、一度タネを広げて様々な素材を吸収し、もう一度丸い形におさめて密度の濃い団子を作るイメージだ。知ってて敢えてやらないことと最初から知らないことには大きな違いがある。そういう点で言えば、様々なソフトウェアを勉強するのは悪くない。だが勉強厨になってしまってはダメだというバランス感覚が求められる。
ここまでツールの話をしてきたけど、上述したように僕は表現そのものがツールに依存している状況というのがあんまり好きではない。なのでもっと言えば明日から3DCGが無くなったとしても同じコンセプトで表現を続けられるような、ツールを飛び越えてもっと奥の方の根本的な表現の理念や思想みたいなものを常に考えている。