もはや若いと言える年齢ではなくなったけど、たまに人はいつ老いるのかということについて考える。ワンピースのヒルルクの有名なセリフ、「人はいつ死ぬと思う?」みたいな感じ。歳を取っても若々しい人もいるし、逆に30代ですでにやたらと老け込んでいる人もいたりするのが不思議で、僕の考えでは「新しいことに興味がなくなった時」だと思う。
映画にしろ本にしろ新しいことに常に興味を持ち続けられる人間であれればいいなとは思うが、老いというのは生理現象なので自分でコントロールするのは難しいような気もする。例えばすぐに怒り出すおじさんとかたまにいるけど、ああいうのも老いによって脳機能が一部低下しているが故に起こることだと思うと自分もいずれそうなるのかなぁと思って軽々しく非難する気持ちになれない。
電車でベビーカーとか赤ちゃんの泣き声に腹を立てている人もよくいるけど、やっぱり人間って「自分も赤ちゃんだった」とか「自分もいずれは老いる」っていう想像力を持たないと同じ社会で生きていくのは難しいなと思う。むしろそういう想像力がない人間の方がすぐキレるおじさんよりよっぽど社会にとって癌になっているのではないか。今の自分の若い状態の体力や思考力だけを基準にしてその他の属性の人を非難するのはどう考えても理不尽だと思う。
今の社会は人を思いやったり想像力を働かせたりできる人間が減ったなと思うが、ひとえに人間が孤独になったからだと思う。昔に比べて家でできることが増えすぎたせいか、他人と関わることを避けて自分の殻に閉じこもることが多くなった。そうすると自らの考えを相対化してくれる相手が周囲にいないので、SNSのフィルターバブルの中で自分に都合の良い意見ばかりを見るようになり、過激で偏った考え方に傾倒するようになる。結局外国人ヘイトもミソジニーやミサンドリーも友達も恋人もいない孤独な人間が陥るのだろう。例えば友達に外国人がいたり、自分に恋人がいたりしたらその人の顔が思い浮かんでしまって、例えネットであろうとそんなに安易に中傷したりできないはずだからだ。
かくいう僕も20代の頃は様々な面で非常に偏った考え方を持っていて、それも家にずっと引きこもって一人でぐるぐると余計なことを考えていたことが原因だったと反省している。結局最後は「リアルで人と話すことは大事」みたいな平凡な話に落ち着いてくる。これも老いの一つのプロセスなのだろうか。
僕は酒好きなのでたまにバーに飲みに行くんだけど、自分がこれまでの人生で出会うことがなかった属性の人と話すことができるので自分の偏った考え方を相対化するには非常に効果的だと思う。頭のいい奴は頭のいい奴とだけ話して、差別主義者は差別主義者とだけ話すみたいな状態は良くないのだ。
よく行くバーで80歳を超えたおじいさんとたまに話す。耳は遠いし同じ話を繰り返したりしてはいるんだけれど、とにかく元気で、聞くと若い頃から今までずっと剣道をやっているらしい。やっぱり新しいことに興味を持つ云々とか精神的なこととか関係なく、体の強さがそのまま老いてから元気でいられるかに直結するのかなとも思う。これもまた平凡な話で、なんだか歳を取るごとに若い頃の偏りが全部相対化されて普通のことばっかり言う人間になっていく自分がちょっと悲しい。