最近のミュージックビデオはつまらないものが増えたなと思う。ミュージックビデオという表現が出始めたころは、みんな試行錯誤して「表現としての面白さ」を追求していたと思うんだけど、最近のMVは、まずリファレンスありきのどこかで見たようなものか、タレントが意味不明な踊りを踊っているか、アニメかのどれかだろう。確かに昔に比べて画質がいいし、綺麗な映像は増えたと思うけど、画質が良くなることは表現の面白さとは何ら関係がない。音質が良くなればいい音楽かといえば、そうではないだろう。「クオリティ」を追求するのは無条件で善だとされているが、ある種の思考停止でしかないと思っている。映画だろうがなんだろうが、本当に面白いものは480pで見ても面白いはずだろう。
MVを昔作っていた時期もあるけど、僕自身がMVを最後まで見たことがほとんどない。ショート動画みたいな短いものはすぐ見れるし、映画とか2時間くらいあるものだと逆に割り切って集中できるんだけど、3分とか4分って映像としてはかなり中途半端で「ちょうど見るのがめんどくさい長さ」なんだよね。これって自分だけでなく、ほとんどの人がそうだと思う。そうなるとどうなるかっていうと、タレントの顔が見たいという需要のためだけに作るか、業界の内輪で「あのMVよかったですよ」みたいなことのために作ることになるんだ。MVはもはやあらゆる面でPVでしかない。
ふと10年くらい前に作った実写映像のMVを見返してみたことがあるんだけど、あまりの才能のなさに笑ってしまった。早めに見切りをつけてCG一本にして正解だったし、あの業界と距離を取ったことも正解だった。あの当時は、映像の王道は実写であって、有名なタレントやミュージシャンを撮ることだろうと普通に思ってたから、若さというのはおそろしい。
たまにふらふら飲み歩いていると、芸能人の誰々を乗せたとかなんとか吹いて回るタクシードライバーに出くわすことがあるんだけど、MVの監督とかも多かれ少なかれやってることは同じなんだよな。結局、作ったものの評価の中に自分の能力に対する評価がどの程度の割合であるのか疑わしくて、「有名人と仕事したことあります」ってだけの人が多い。もちろんそれでいいという人もいるだろうが、僕はそれが耐えられなかった。
自分に才能がなかったことも理由としてあるけど、一番耐えられなかったのはあの業界のハラスメント体質だ。ハラスメントがある種のイニシエーションとして機能していて、その業界に「生き残っている」人たちはより強固な結束で結ばれる。どんな理不尽な目に遭おうが、「あのつらさを乗り越えた」という結束感はすさまじい。いわゆる体育会系と映像制作会社のような激務のブラック企業の相性が良いことも、このイニシエーションを考えれば当然のことだ。生き残っている人間は基本的に洗脳済みなので自浄作用などあるわけもなく、昨今のテレビ業界や映画業界のキャンセルのように外圧でしか変わることはないだろう。
MVは金銭面でも相当闇が深くて、10万、20万くらいのギャラであり得ないくらいの物量の発注が来たりするし、それをみんな文句も言わずやっている。そもそも、よほど有名でない限りミュージシャン本人たちにすらまともにお金が流れていない状況で、MVを作る人にまともにお金が流れる仕組みなど作れるわけもない。要は、余った宣伝費で作る単なるオマケのようなものでしかない。
そしてクリエイターにとってMVは、作れば作るほど貧乏になるとすら思ってる。儲かるのは中抜きしてる代理店だけだ。代理店ってのはいくらでも安い仕事を受けたっていい。引き受けるだけ引き受けて、あとはクリエイターにぶん投げて、自分たちは中抜きしていればいいだけなんだから。彼らは実際に手を動かすわけではないから大した苦労もなく数をこなせるし、そしてそれを交渉材料にCMなどの別の高い仕事を引き受けて儲けることができる。
なぜあの界隈の人が「人脈」を大事にするのか。それは常に新しい奴隷を探しているからだろう。アニメ業界とかもそうだけど、自らが奴隷であると気づかない奴隷がたくさんいる。楽しければ安くてもいい、タダでもいい、みたいな洗脳はグルーミングに近い気持ち悪さがある。