僕はそれほど恋愛をたくさんしてきたタイプではないし、昔から「恋愛経験があると人間として成長できる」みたいな事ばかり言っている人間はくだらないとすら思ってきた人間だが、そう思いつつもどうにも恋をすることをすべて諦めるということができなくて、いろいろと行動を起こして、時には恋人ができたりもした。
その中で、恋愛というのは自分の心の問題と正面から向き合う必要があるのだと気付いた。例えば「蛙化現象」という、好きな人のちょっとした行動に幻滅してしまう現象が以前話題になったが、これは相手に問題があるように見せかけて、実は自分の心の問題なのだ。僕の考えでは、蛙化現象というのは「見捨てられる前に自分から逃げ出すための理由を作る」行為のように見えている。つまり、根本には自己肯定感の低さと見捨てられ不安があって、将来相手に見捨てられる不安をあらかじめ解消しておこうと心を守ろうとしているのだ。
恋愛というのは、逐一この「自分の心の問題を相手の問題にすり替える」現象との葛藤がある。例えば、既読だ未読だと恋人から連絡が返ってこなくなると妙に不安になったりするのも、「見捨てられるかもしれない」という自らの心の問題なのだ。連絡頻度には個人のペースがあるし、誰とも関わりたくないという瞬間もあるだろう。恋人だからといって、そういう面をすべてコントロールできるわけではない。見捨てられ不安とコントロール欲求、そしてモラハラというのは、かなり密接につながっているように思う。
ただ、僕の中には常に「誰かを好きだから恋愛をしたい」というよりも、「恋愛というものがどういうものか知っておきたい」という欲望のために恋愛をしているという感覚がある。食べたことのない食べ物の味をとりあえず一度食べて味を知っておきたい、みたいな感覚に近い。メタ的に見ると、本当に人を好きになっているのか疑問になることも多い。「恋人がいる自分」と「恋人がいない自分」で何か変わるのかということを試してみたい、みたいな感覚だ。
様々な経験を経た結果、「恋愛経験があると人間として成長できる」というのは一定程度正しいと思う。ただしそれは、自分の心の問題と真剣に向き合い、改善することができる人間に限られる。自らの心の弱さを依存や相手へのコントロール欲求に変えてしまう人は、成長するどころか、恋愛が精神的な不安定さを生み出す原因にすらなり得る。