今年度から多摩美術大学で3DCGを教えることになった。まだそれほど時間は経っていないがその中でいくつか考えていることがあるので記録しておこうと思う。これは3DCGに限らずすべての学習に共通することだとも思っている。

まず大事なことは何事も一気に高いレベルを目指そうとせず1つ1つ積み重ねていく根気が必要だということだ。1つ覚えてそれを取り入れてアウトプットをするということを繰り返していれば少しずつでも確実に上達する。新しいことを始める時は理想と現実のギャップで萎えてモチベーションが下がることってよくあると思うけど、いきなりプロみたいに何かができるようになるはずがないと思えば気楽に取り組めるはず。

人にものを教える人間がこういう事を言うのもどうかと思うのだが、3DCGに限らず「教えてもらおう」みたいなスタンスを崩さない人は基本的に何も上達しない、もしくは上達が遅れると思う。自分で気づいて考えて改善するというサイクルを自然と回せる人は大体どんなことでもある程度できるようになるし、そっちの方が楽しい。むしろ自分で考えた改善点や問題点を自分で考えて解決できたという経験がその物事を好きになるキッカケにすらなる。

身も蓋もない話なのだが、人に教わるというのは現代においてはむしろ非効率だと言ってもいい。3DCGなどはその中でも最たるものだろう。検索エンジンや動画サイトも発展しているし、最近ではAIに聞くこともできる。自分で調べることなどいくらでもできるのに、人に知識を享受してもらえるのを口を開けて待っているだけでは自分で調べて改善するサイクルを回せる人間に後れを取るのは当たり前だ。フィードバックループの回数が圧倒的に違う。

こんなことを言っていると教える人間は何のために存在しているのかわからなくなるが、それはツールの使い方とか仕事をいかに効率よくやるかみたいな、実用とかけ離れた抽象的なことについて教えるためだと思っている。いつかは3DCGソフトの使い方を超えたもっと抽象的なことや経験について、検索しても出てこない、AIに聞いてもわからないことを話すことができたらいいなとも思う。

話が逸れるけど、実用性や効率みたいなことばかり考えていても、そんなものは誰が考えたって同じような結論にたどり着くのだからロボットと同じになってしまう。そこには自分なりに考えてたどり着いた、その人なりの発想が無いので面白くない。そういう点で言うと、おそらく近代の人間というのは機械に近づきたかったのではないかと思う。だからこそいかに寝る時間を削って働けるかとか合理的に物事考えられるかみたいなことに価値が置かれてきた。

テクノロジーがこれだけ発展した時代においていまだに「睡眠は無駄だからやらない」とか「食事は無駄だから粉だけ飲んでる」みたいなことを自慢げに語っている人は滑稽だなと思う。普通に考えて食事も睡眠も排泄も何もかもが必要無い機械相手に機械に近づくことが正義だという価値観で張り合っていること自体が無駄ではないか。もはや無駄を排除することそのものが無駄だとすら思える。