考察と批評には違いがあるらしい。ぼくの考えでは、批評はおそらく批判だと受け止められる。つまり批評をする人間は「水を差すやつ」だと思われる。それに対して考察は「みんなで盛り上がれる」ツールだ。

考察と陰謀論に親和性あるというのはとても納得感がある。みんなで盛り上がれればその内容が間違っていても構わないし、水を差すやつは「冷笑系」になるというわけだ。

朝井リョウの「インザメガチャーチ」で推し活と陰謀論が近い距離にあることが描かれていたが、考察も似たようなものかもしれない。

大きな物語が終わり、小さな物語へと移行したという有名なポストモダンの定義があるが、現代は「物語の捏造」の時代かもしれない。しかもその捏造された物語はアルゴリズムによって個別最適化されている。