「クオリティ」という言葉を簡単に使うが、そもそもクオリティとはなんなのだろうか。

「クオリティを上げる」というのは例えるならボイトレで歌がうまくなるみたいな話で、確かにクオリティは上がるかもしれないがそれは確実に均質化する。そしてこの均質化こそが表現の多様性を殺す。最大公約数を取ることで外れ値を均してしまうのだ。

20代のころ仕事でディレクターから「クオリティを上げて欲しい」というフィードバックを繰り返され続けて精神を病んだことがある。(若いクリエイターの精神を破壊したければ「全然ダメ。クオリティを上げて欲しい。」というフィードバックを繰り返しまくれば簡単に破壊できる。)

このディレクターにとっては「クオリティ」というのはある種のコモン・センスのようなもので、すべての人間に共有されているものだという認識があるのだろう。

これは完全な偏見だが、この傾向はリアリズムをやってる人に多い気がする。リアリズムというのは、目指すべきクオリティの指標が「現実」という単一のものだから、何が質であるかを定義から考える必要が無い。

あとは単に「仕事で使える表現」というのは機械のパーツのように規格が決まった表現なので質が定義しやすいというのもある。特定の業界に長くいる人間は同じ規格でネジを再生産することに慣れすぎているので違う規格があることを想像することが困難になるのかもしれない。