いい加減酔っぱらってSNS投稿する悪い癖直したいんだけど、あとで見返すと単純に言い方が悪いだけで言ってることは普段のぼくが考えてることではある。よく「酔った時がその人の本性」だとか「SNSの投稿がその人の本性」みたいなことを言う人がいるけど、どちらが本性なんてものはなくて、どちらもその人であることに変わりはないんだよな。人間はそんな単純なものではなくて、2面性、3面性がある。ただ自分が他人を理解した気になりたいから、単純化した構造で人間をとらえたいという欲望がこういう言説を生み出す。人間を単純化して捉えようとする人ほど「裏切られた」という気持ちになりやすいのかもしれない。例えば「あの清純派女優が実は不倫してた!裏切られた!」みたいな人たちのことである。結局はそういう側面もその人自身だったというだけではないか。しかし人はなぜ酔っぱらうとSNSに投稿したくなるのか。まあ単に寂しくなるからだろう。寂しくなって、人に話を聞いてほしくなる。バーやスナックでよく見る光景ではある。ぼくはそういう人間の弱さについて身をもって知っているし、そういう人たちを簡単にバカにできるほど強くはない。
個性とか作家性とかってずっとバカにされ続けてきたと思ってるし、「仕事として使えそうな表現」ばかりを追い求めてきた人間がAIに代替されたとしても特に同情の余地が無いと思う。外側だけ見れば一見クリエイターっぽく見えていたって、やっていることはベルトコンベアの上で部品を作っているのと大差ないわけで、そもそもが分業と自動化の枠組みの中に自分を押し込むことをずっとやっていたというだけで、それが文字通り自動化されるだけということだ。AIに代替されるかどうか、ということに現実的な正当性があるかどうかというのは実はどうでもよくて、何かを作る行為をマーケットにおける位置づけと結びつけていた人たちはシンプルに実存に対する猜疑心に悩まされることになる。「自分は不要になるのではないか」という猜疑心。