自分の自撮りをAIで美女に変換するおじさんについて考えてる。変身願望があるというのはわかるが、だとしたら性別を変える必要はどこにある?コスプレイヤーも性別を超えてる場合はあるけど、あれとは異質な何かを感じる。「おじさんが美女になったら面白いでしょ。」と思っているとしたらその笑いのツボそのものがおじさん仕草だし、承認欲求を満たしたいだけだとしてもよくわからない。普通の感覚でいうと「承認」というのは根拠なく承認されても意味が無い。つまり虚構の自分を見せて承認されても、それは自分が承認されたわけではないのだから結局のところ意味がないのでは?


人が物事に関心をもてる心理的な距離の範囲というのは確実にあって、例えば多くの人はアマゾンの奥地の未開の部族が雨乞いの儀式に生贄を捧げていたとしても「へーそういう人たちもいるんだなぁ」としか思わないはずだが、六本木で裸でシャンパンタワーやってる成金がいると、「それはけしからん!」となる。ぼくからするとどちらも心理的には同程度の距離感にしか感じられないのでイマイチ関心がわかない。「最近の若者はルッキズム過剰が問題で~」みたいな話を聞いても、鼻が高い方がいいとか目が大きい方がいいとか、そういう風に考える美的価値観の部族がいても不思議じゃないしなぁとしか思わないから何が問題なのかわからない。